2004年09月21日

誰も知らない -手ざわりの死-

映画「誰も知らない」は、実際の事件を基にしたフィクションである。
というよりも、監督の是枝氏は、フィクションという形を選んだ。
なぜか?
そこを考えてみたい。

巣鴨子供置き去り事件
http://www8.ocn.ne.jp/~moonston/family.htm

先週だったと思うけど、新聞各紙の社会面で、
「中絶胎児を一般ゴミに」みたいな記事を何度か目にした。
(うろ覚えだから、間違いがあれば訂正してください。)
まあ、簡単に言うと、妊娠12週以前の胎児ってのは、
法律上、人間として扱われなくて、
だから、遺体は廃棄物として処理される。
廃棄物は処理にお金がかかる。
ゆえに、胎児を細かく切り刻んで、
一般ゴミに混ぜて捨てれば安上がり、
ってことをやってた産婦人科が捕まったんです。

中絶胎児というのが、どれくらいの大きさか、
僕はわからないが、
これは人間である、というイメージが、
この病院関係者達には欠けていた、
もしくは、考えないようにしていたに違いない。

前置きが長くなったが、
僕は、死のイメージの貧困さは、
今の社会では、あまりにも当たり前で、
防ぎようがないのだと思う。誰の責任でもなくね。
僕自身、家族を看取るという経験が、未だない。

上記のリンク先の内容を読む限り、
映画「誰も知らない」が、
実際の事件と一番違うところは、
妹の死と、その物理的な処理方法の描かれ方だと思う。
映画では、妹は旅行用スーツケースに入れられ、空港近くの土手に埋葬される。
実際には、ビニール袋に入れられ、消臭剤とともに押入れに仕舞い込まれた後、
臭いがひどくなり、ボストンバッグに詰められ、秩父市の公園の駐車場脇の雑木林に捨てられる。
木の葉や枝で覆われたが、埋められたわけではない。

ところが、秩父を選んだ理由が「妹に山を見せてやりたいから」なのである。
映画では「飛行機を見せたい」という台詞に変換されるが、
まったく同じ心情を表わしたものだと思う。

映画の埋葬シーンは、とてものんきに描かれている。
それがイリーガルな行為だという自覚は見えないし、
早く大人に知らせてよ的なことを、
見ている側は、思ってしまうのだが、
子供達は、自分達のルールに、自分達の死のイメージに、
忠実であり、ピュアなのだ。
少なくとも、法律的に、慣例的に、
肉親の死を処理してはいない。

「誰も知らない」は、日常生活の中での、
死のイメージが豊かな映画である。
でも、それを取り戻せとも、回復しろとも言っていない。
そういう世界が、手を伸ばしたぐらいの距離にあるよ、
誰も知らないかもしれないけどね、そんな映画だと思った。
posted by 鈴木厚人 at 10:13| Comment(0) | TrackBack(0) | 映画レビュー | このブログの読者になる | 更新情報をチェックする
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