2004年09月20日

誰も知らない -たすろぐ- から

「誰も知らない」という映画を見た。
感想をblogに上げないままに、時間が過ぎてしまい、
いい映画だったので、紹介したいと思っていたら、
知人が、非常に面白い視点で、
この映画について書いていたので、
紹介とトラックバックをしたい。

僕が、彼の「誰も知らない」の見方を、
面白いと思った理由は、
結末は、作り手に委ねられるが、
結論は、受け手に委ねられる、
その態度をはっきり示しているからである。

というわけで、
「誰も知らない」を見てから、一読すべし。

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誰も知らない - 結論の無い映画 -
結論 - 客観的真実の存在する虚構の世界

僕は結論のある映画が嫌いだ。
だって僕の人生にも、
今これを読んでいるあなたの人生にも結論なんて無いから。

人生は、決まっているものではなくて、
自分で決めるものだ。
真実は、そこに存在するものではなくて、
自分で感じるものだ。

100人の人間には100通りの人生、100の真実があるのだから。



じゃあ結論って何なの? って考えてみると、
映画における結論とは多分、客観的真実の事だ。

つまり、僕が見てもあなたが見ても、日本人が見てもイラク人が見ても、
監督が見ても、観客が見ても、
映画の登場人物の誰の視点から見ても、
はっきりとわかる真実だ。

でも、世界の人が共有できる客観的真実なんて、
本当は無いよね。そんなのあったら嘘だ。

そもそも「真実」なんてものは非常にうさんくさいヤツで、
人間の五感、認知能力を基準に規定されるものに過ぎない。
このページを読んでるあなたは、
「確かに2004年の何時何分、俺はPCでホームページを見てる!」
と考えてるかもしれないけど、
<西暦2004年>なんていうアヤシイ尺度は、
アヤシイ考古学に基づいて、アヤシイ誰かさんが勝手に決めた、
アヤシイ社会的尺度であるし。
もっと言うと、<今PCの前に座ってる>とあなたは考えるかもしれないけれど、
それは「人間の目で見れば確かにPCはそこに存在する」けど、
量子力学的に考えると、本当にそこにPCが存在するかどうかは決定できない。

のだ。
だから「客観的真実」で終わる映画は非常にアヤシイ。
「あなたなりの真実」を考える機会を奪っている。

真実とは、絶対的に存在し、客観的に規定できるものではなく
真実とは、システムのバランスによって保たれ、主観的に感じとるものだ

というのが僕のポリシーなわけである。
多分、孔子の「中庸」もそんな意味だ(と勝手に解釈した)。

もちろん、「学術論文」とか「物理学の新説」etcには常に結論(=客観的真実)が
必要不可欠だけれども、僕の論はこれを批判するものでは無い。
つまり、社会を構成するミクロな単位(クルマとか、コーヒーとか、ダイエーとか、ひも理論とか)には常に客観的真実が含まれるけれども、究極の複雑系システムである社会そのもの、そして人間自体、それらにおいて客観的真実は規定できないよね。ていうのが僕の考え方だ。
そして映画が撮るものは、社会、人間そのものだから。

というわけで、僕は正解とか成功とか真実だとか結論だとか、
そういう類のヤツ、及びそういう類を結論に持ってくる映画が全部だいきらーいだ。



そもそも結論がはっきりしていて、
観客に考える余地を残さない映画は、
観客に対する敬意を欠いているとさえ考えている。

「俺はこう考えた、ほら、感動するだろ?ムカツクだろ?」

ってのは作り手の一方的な押しつけで、アンフェアだ。

「俺はこう考えたけど、あなたはどう考える?」

これが何かモノを創り出す人間の、
受け手への最低限の敬意では無かろうか。

そう考えると、
「華氏911度」の類は、観客を全く馬鹿にしている。

「アメリカは民主主義国家です。民主主義は絶対的正義です。でもヤツラはその民主主義を破壊する悪魔です。アメリカは被害者です。だからみんなで悪魔をやっつけましょう」

というのがムーア曰くアホでマヌケなアメリカ人代表、ジョージ・W・ブッシュ。
つまり、問題は相手への理解力の欠如にも起因するのに、自分の責任を相手の責任に転嫁する為に、相対的価値判断をさっさと放棄して客観的真実 or 絶対的正義etcを導入して問題解決するパターンの彼。

でもさ、

「ブッシュは(絶対的)オバカちゃんです。イラクの民衆はオバカなブッシュの哀れな被害者です。だからみんなでブッシュをやっつけましょう」

これじゃあアンタの批判するブッシュそのものじゃん。
アンタもブッシュとそー変わらないオバカちゃんじゃん。
って思えてしまう。そんな僕も実は(ムーアに対する)理解力の欠如なんだけど。

つまるところ、ブッシュの外交政策(というか石油戦略)一色に染まった世界もかなりアヤシイし、華氏911度一色に染まる世界もこれまたウサンクサイ。
そういった意味では、「ブッシュもいればムーアもいる」っていうバランス感覚を観客に持たせる事、そして観客なりの視点/真実を獲得させる事。が非常に重要で、ムーアがそこまで考えてあの映画を作ってればこりゃー凄い。
って話なんだけれども、ああやって端的に絶対的悪(ブッシュ=馬鹿)を導入しちゃってそれをベースにストーリー展開していくあたり、なーんも考えてないだろうな、と思われてもしょうがない。



「誰も知らない」とか「きょうのできごと」みたいな邦画を女の子と見に行くと、

「で、結局あの映画は何が言いたいわけ?」

的な反応が返ってきてげんなりする事がよくある。
それはまぁハリウッド的プロパガンダ映画(含む日本のテレビ番組)を見続けてきて、
毎回毎回きちんとした結論を与えられて、与えられた感情をそのまま受け入れて満足、思考停止する事に慣れてきたんだからしょーがない。

逆に僕は、「あの映画は何が言いたいわけ?」と尋ねられる映画こそが、良い映画の条件かなとも思っている。
確かに、結論が無く、観客に結論を能動的に考えさせる映画は見ていて疲れる。
でも、100本の映画のうち、1本くらいそういう映画無いと寂しいな、って思う。

映画を見終わった後。
ひとりでトボトボと家までの帰り道、夜空を見上げて、
「あの古いアパートの中にも、僕にもある、みんなにもある、温かい家族の、小さな幸せがあったんだろうな」
そうやって僕なりの真実を見つけさせてくれる「誰も知らない」。

「複雑な世界を複雑なまま表現するために」 By 是枝監督

僕もそんな映画が大好きだし、そんな映画を作るためにこの人生を、限られた時間を使いたいと思う。

===

『誰も知らない』

監督・脚本・編集・プロデューサー/是枝裕和(昔SFCに来てくれた)
撮影/ 山崎裕(ワンダフルライフも最高でした)
音楽/ ゴンチチ(まじ良い!VHS見てオリジナル作曲らしい)

キャスト/柳楽優弥、北浦愛、木村飛影、韓英恵(ピストルオペラ)、
YOU、タテタカコ(楽曲も提供)、寺島進!!などなど。

配給/シネカノン(相変わらずすげー会社だ、、、)

制作/テレビマンユニオン

脚本:☆☆☆☆☆(短すぎない、長すぎない)
編集:☆☆☆☆
役者・演出:☆☆☆☆☆★(演技でもない、素でもない)
撮影・照明:☆☆☆☆☆(フィルターの使い分けとか必見)
音楽:☆☆☆☆(必要最小限)
音声・音響:☆☆☆☆☆(ハイヒールの音とか!)
SFX・CG: - (無し)

総評:☆☆☆☆☆(見なきゃ日本人失格)

PS: 藤沢オデヲンで見るのが激空いてておすすめ

http://www.makegumi.com/task/archives/2004/09/_nobody_knows.html
posted by 鈴木厚人 at 20:57| Comment(0) | TrackBack(0) | 映画レビュー | このブログの読者になる | 更新情報をチェックする
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