2005年08月29日

芝居と演劇の違いとは何か?

鳥の眼・蟻の眼・象の鼻 vol.3
「芝居と演劇の違いとは何か?」

言葉というものは、不思議なもので、
同じような意味でも、
ニュアンスが微妙に違うということは多い。
そういう言葉の、ズレ、というか、差異を考えていくのが、
僕はとても好きだ。
今日は、芝居と演劇について。

やっぱり、芝居と演劇は違うものなんじゃないかと、
僕は、最近、よく思う。
それを、考えたのは、手品とは何だろう?
と考えたのがきっかけだ。
手品は、パフォーマンス(芸能)だけれども、
手品は、演劇になるだろうかということなのだ。

「空白」という自分のお芝居で、
冷蔵庫に入ったり、出たりするというシーンがあるのだけど、
この冷蔵庫に入るシーンの演出を、実は、日によって変えた。
最後に、主人公が冷蔵庫に閉じ込められたまま、お話は終わるのだけど、
カーテンコールの時に、残りの出演者が冷蔵庫を開けると、
あら、びっくり、彼がいないという演出。
お話が終わるのだから、一日目と二日目は、一回暗転してから、
冷蔵庫を開けていた。
暗転して、舞台にいた主人公以外の役者が一端、
袖にはけたほうが見映えがいいという判断である。
けれども、一回暗転してしまうので、お客さんは、
閉じ込められていた役者がいなくなっていることに驚いてはくれるが、
直後に、暗転中に出てきたのかな、と思ってしまうのだ。
そこで、最終日だけ、冷蔵庫をスポットで照らし続け、
冷蔵庫のまわり以外は暗転するということをした。
すると、カーテンコールで、冷蔵庫が開いた時に、
客席からどよめきが聞こえるほど、驚いてもらえた。
まあ、つまり、これは手品的演出である。

最終日に、照明の仕込みを変えるとあって、
照明スタッフさんからは、よくないかもしれないよ、
という意見をもらったけど、僕はこだわった。
初めて、自分の演出で、何か、鉱脈を見つけた気がしたからだ。

さて、話は戻すと、手品的演出はさておき、
手品単体でいうと、それは演劇の一種と言っていいだろうか?
僕は、演劇という言葉のてざわりからすると、
手品は演劇じゃないような気がする。
でも、手品は芝居の一つだってことは言ってもいい気がする。
そこに、僕の演劇観、あるいは芝居観がある。
つまり、僕は、演劇ではなく、芝居がやりたいのだ。
もちろん、演劇も好きなんだけれども。

芝居の、芝に居るということは、どういうことなのか、
演劇の、劇を演じるということは、どういうことなのか、
もちろん、言葉の意味は、変わっていくのだけれども、
オリジンというか、根っこを、きちんと、
地に足をつけて、
自分の頭で考えておきたいのである。

もしかしたら、つづく。
posted by 鈴木厚人 at 16:01| Comment(4) | TrackBack(0) | つぶやき手帖 | このブログの読者になる | 更新情報をチェックする
この記事へのコメント
いままで両者を同義だと漠然と考えていたので、、「空白」の演出の変更に関するエピソードともあわせて、興味深く読みました。

鈴木さんの仰るのは、芝居の方が演劇よりも広い概念であり、「演劇」という狭いカテゴリーに留まらない方が観客に対してより強いインパクトを与えることができる、ということなのでしょうか。

そして、観客を揺り動かすためなら、「演劇」の枠を積極的にはみ出す、という決意表明をここでされているのでしょうか。
Posted by Sharp at 2005年08月30日 08:54
違います。
詳しくは、今後、アップしていくつもりです。
Posted by 鈴木厚人 at 2005年08月30日 08:58
なんか書いてあった。
http://www.jca.apc.org/~jicogawa/mg364.html
Posted by yousakana at 2005年09月10日 18:25
コメントしないのも、なんなので。


鈴木さんが仰るのはですね、芝居の方が演劇よりも狭い概念であり、「芝居」という狭いカテゴリーに敢えて留まってみる方が、観客に対してより強いインパクトを与えることができるのではないか、ということなのです。
Posted by 鈴木厚人 at 2005年09月12日 23:06
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