2005年07月15日

演劇論「失われた"肉体と文体"を求めて」 -その3-

演劇論「失われた"肉体と文体"を求めて」 -その3-

言葉は、前に進み続ける限り、情報化されない。
つまり、意味が変化し続ける言葉こそ、
生きている言葉であり、板の上、舞台の上で、
語られるべき言葉なのだという、こだわりが僕の中にある。
つまり、その2では"意味が変化し続ける言葉"について書いた。
今回は、"視点を動かされてしまう言葉"について書こうと思う。

これは、キャッチコピーの仕事をしていた時に気づいたのだが、
会議で通るコピーと、通らないコピーを見比べると、
もしくは、会議のキーパーソンに受ける、受けないを比較すると、
(クライアントだったり、クリエイティブディレクターだったりするのだが)
言葉のセンスより大事なものがあることが見えてくる。

ちなみに、言葉のセンスというのは、例えば、
セブン、イレブン、いい気分。とかを考えられるセンスのことだ。
もちろん、それは、すごく大切な能力の一つだ。
言葉遊びのセンスって言うのかな。しかし、そういう、
語感の良さ、意外性のある言葉の組み合わせ、などなど、
だけにこだわってしまっては、失敗する。
本当に大事なのは、"視点を動かされてしまう言葉"なのだと思う。
では、その際の、視点とは何なのか?

例えば、内閣府のCMで、
震災時の死因の約9割が家屋の倒壊による圧死なので、
住宅の耐震化の重要性を訴求したい、
という企画があったとしたら、どうするか?
私が考えたのは、

「住み慣れた我が家が、地震の時には最大の凶器になります」

というキャッチコピー。
これは、会議でとてもウケた。
初めて、ウケたコピーなので、よく覚えている。
その夜は帰って、自分のコピーを、自分で分析した。
多分、我が家という温もりのあるものが、凶器に変わるという、
視点の動きを感じられるから、とても面白かったのではないか?
これ以降、その仮定をもとに、
視点の動きを意識して、コピーを考えるようになったら、
私のコピーは、バンバン会議で通るようになった。

言葉は動く。意味も動くし、
その言葉をどこから綴るのかを決める視点も動く。
それが、生きている言葉というものではないか?
そして、演劇においてだって、同じことが言えるのではないか?
本当に大切なことは、言葉のセンスではなく、
観客の視点を動かす言葉を綴る、ということなのだ。

「住み慣れた我が家が、地震の時には最大の凶器になります」

商業広告のコピーが例だと、
イマイチ、伝わらないかもしれないなあ。
やはり、自分の芝居の中で、やっていくべきことなんだろう。
ただ、最後に一つだけ言うとしたら、
"視点を動かされてしまう言葉"には、快感がある。
視点を動かされてしまう心地よさがある。
人は誰しも、今見えている視界とは違う、もう一つの世界を、
見たいと思っていて、だから、
"視点を動かされてしまう言葉"に出会いたいと願うのではないか、
そんな感じがするのである。
posted by 鈴木厚人 at 03:27| Comment(0) | TrackBack(0) | 自分だけの演劇論 | このブログの読者になる | 更新情報をチェックする
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