2005年07月06日

「事件」について

言葉にするのは、とても難しいのだが、
今、自分が生きている、この世界に違和感を感じることがある。
日々の、仕事、家族、生活、恋愛、
そんな日常が繰り返される、
この世界そのものに違和感を感じたことはないだろうか。

何か大きな不満があるわけではない。
しかし、自分の本来いるべき場所は、この世界ではなく、
ここではないどこかがある。そう思ってしまう感受性。
演劇に限らず、多くの小説、映画、音楽が、その違和感を描いてきた。
"THE SHAMPOO HAT"の「事件」も、世界違和感系の物語である。

私が、ここ一年くらいで、印象に残っている、世界違和感系の演劇作品は、
サイモン・マクバーニーの「エレファント・バニッシュ」と、
"飛ぶ劇場"の「Red Room Radio」である。
ちょっと、毛色は違うけど、岩松了の「隣りの男」も、
その匂いがしなくもない。
「Red Room Radio」については、
http://inzou.seesaa.net/article/2388898.html
「隣りの男」については、
http://inzou.seesaa.net/article/4586067.html
を参照のこと。

問題は、この世界に違和感を感じ、
ここではないどこかを望んでも、
そんなものは、いつまでたっても訪れないということだ。
望めば望むほど、違和感は、そのズレを増し、
輪廻のように、退屈な日常が続くだけ。要は、絶望の物語なのである。
もちろん、瞬間的には、ここではないどこかが訪れたかに思えることがある。
それは、不思議な事件として、この世界に顔を出す。
「事件」で言えば、鯨の出現であり、
「エレファント・バニッシュ」で言えば、象の消滅である。
出現と消滅、その意味で、鯨の現れには、ただただ圧倒された。
しかし、物語の他の部分、つまりラスト以外は入り込めなかった。
なぜか?

私自身は、世界違和感系の物語の、コアな消費者である。
とりわけ、小説でその傾向が強く、
白石一文の「僕のなかの壊れていない部分」や「一瞬の光」は、
夢中になって読んだ。ただ、この一年で、少しずつ、
自分の感じ方が変わってきたのか、「Red Room Radio」にしろ、
今回の「事件」にしろ、
絶望をネガティブに描く演劇作品に嫌悪感を感じ始めた。
小説なら許せるネガティブさが演劇だと許せないのである。
「Red Room Radio」の時にも書いたが、

人間とは何か、幸福とは何か、もしくは世界とは何か、
そういったちょっとお堅いコトを考えてしまうよりも、
今日の前髪が決まらない、とか、
体重を気にして大好きなスウィーツ食べれない、とか、
でも大好きだからやっぱり食べちゃった、とか、
そういうもっとどうでもいいようなことの中にこそ、
描くべきものがある、そんな気が最近はしている。

もしくは、絶望の種類は違うが、
"劇団、本谷有希子"の「乱暴と待機」のように、
絶望の中に生きる人間のポジティブさ、
私は、それが見たくなってきている。

人が絶望するのは、何かを望み、それが絶たれるからである。
だから、絶望はネガティブかもしれないけれど、
何かを望もうとすること自体は、いつだってポジティブなはずである。
望みが絶たれることを描くのではなく、
たとえ、絶たれるのだとしても、望みを持ち続けようとする人間を描く、
そんな物語を、今は見たいと思っている。

-データ-
THE SHAMPOO HAT
「事件」
@ザ・スズナリ

出演者
・日比大介
・児玉貴志
・多門勝
・野中孝光
・福田暢秀
・黒田大輔
・滝沢恵
・赤堀雅秋
・岩堀美紀
・大和貴
posted by 鈴木厚人 at 00:57| Comment(0) | TrackBack(0) | 舞台レビュー | このブログの読者になる | 更新情報をチェックする
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