2005年05月25日

演劇論「失われた"肉体と文体"を求めて」 -その1-

失われた"肉体と文体"を求めて -その1-

5月14日に、生まれて初めて救急車で運ばれるという体験をした。
酔って、倒れて、後頭部を打って、血がやや大量に出たのである。
ほぼ一週間、毎日病院に通い、幸い、一週間後には傷は完治した。
その中で、あらためて考えてしまったことがあって、
それを文章にしていけたらと思い、これを書いている。

変な話だけれども、僕は最近、病院というものが好きになりつつある。
病院の、身体を扱っている空間であるにも関わらず、
温度の低いところが、人の体温を感じにくいところが、
とても面白いんじゃないかということに気づいたのだ。
それは、まるで何かを治す、あるいは、直す工場であるかのようで。

たとえば、CTスキャンとレントゲン。
大学時代にずーっと、写真というものをやってきて、
カメラというものの、主観的な側面に、
ここまで何をどう見るかが刻印されるのかという事実に、圧倒されたのに、
僕の脳と頚椎が写った医療用フォトグラフは、とても冷静で客観的で、
よく整理された機械の設計図のような美しさがあった。
これは、やばいんじゃないかなと思う。

多くの人はもう既に気づいているのかもしれないけれど、
医学というものが(多分、経済学や社会学なんて学問も)
人間の人間的であるとされていた部分を、
実は、装置的であるに過ぎないという視点で見ることによって、
成立している事実があり、
その視点は、悪魔的な美しさをもっている。
そして、少なくとも僕はその視点に惹かれている。

人間が装置化していき、
人間の思考と思想が、いや、そんな大それたことではなく、
思いと想いが、情報化していく、
ああ、嫌だ、そうなっていく現代が嫌であり、
それを美しいと思ってしまう自分が嫌だ。
面白いと思ってしまう自分が嫌だ。

人間とは、なんなのか?
もう、ストレートで、直球すぎるのだけど、
僕は、そこを考えていきたい。
そして、いわゆる哲学的にではなく、
自分の演劇と、自分の生活を通して、そこを考えていきたい。
しばらくこのブログでは、そういうテーマでモノを書いていきます。
posted by 鈴木厚人 at 07:41| Comment(0) | TrackBack(0) | 自分だけの演劇論 | このブログの読者になる | 更新情報をチェックする
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