2005年04月25日

何が優しさを生むのか?

4月24日

「交換可能な社会の部品」というキーワードについて、
もうちょっとだけ考えてみた。すると、
僕の中ではとても大切なテーマであることに気づく。
だから、気づかせてもらえたのは、すごくありがたい。

多分、コメントをくれた人がそうなのだろうけど、
(そして、僕もそうなのだけど)人間というのは、
自分の中の交換可能性に耐えられないものなのだ。
つまり、「私は私、世界にたった一人の私」って思えないと、
自分自身が崩壊してしまう。
だから、交換可能な社会の部品であることに甘んじるのも、
結構、耐えられない行為になってしまう。特に繊細な人ほど。
「諦めて『交換可能な社会の部品の1つ』として生きていくしかない」
という言葉はアイロニーで、だからこそ、
「私は『交換可能な社会の部品の1つ』として生きてはいけない」
という叫びにも聞こえる。

でもね、その交換可能性にこそ、人間らしさを見い出せるという面もある。
わかりやすく説明すると、私はあの人でも有り得た、そう思える心。
頭の中で、他人の状況を自分に置き換えて想像する能力。
交換可能性というのは、交感(共感)可能性でもあるわけだ。
911のテロの時に、
ニューヨークにいた人はこの感覚がアクチュアルにわかるのではないだろうか?
自分がビルの中にいたかもしれないことが容易に想像でき、
自分が死ななかったのは単に偶然であり、自分の交換可能性に気づく。
そして、関心が自分以外の他者、もしくはその集合体の社会に向く。
人間の優しさというのは、交換可能性に対する想像力から生まれる。
そして、その想像力が働かないと、社会の前提となる共感が生まれない。

僕らは複雑だ。特別な存在としての自分を信じることと、
自分が特別な存在ではなく、交換可能であることを受け入れること、
この二つを生きていく中で両立させないといけない。
でもその振れ幅にこそ、人間の面白みがあると、僕は思う。
posted by 鈴木厚人 at 00:04| Comment(0) | TrackBack(0) | 日記 | このブログの読者になる | 更新情報をチェックする
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