2005年03月21日

アームレングスと今僕らが学ぶべきこと

アームレングスという言葉が好きである。
もし英語がそこそこできる人がこれを読んでいたら、
教えてもらいたいのだが、アームレングス(arm length)
という言葉は実際にあるのだろうか?
それも、「手の届く範囲」という意味での使われ方で。

今週末は、AAPAの公演を手伝っていて、
http://aapa.jp/kijunkyoku/kijunkyoku.html
僕の役割(Role)として、
短編の原作を書き、その短編の照明のオペをやった。
が、それが非常にプロフェッショナルではなかった気がした。
自分なりに言えば、「手の届く範囲」の中で頑張っていなかった。
そんな気がする。

ちょっと、AAPAの悪口になるけれども、今回の公演の、
僕が関わった「檻の中の健忘症」の芝居づくりの過程は、
とても段取りが悪かった。つまり、無駄に非効率であった。
芝居づくりというものが、非効率産業である中で、
(産業として成り立っているかも疑わしいが)
さらに、無駄に非効率であった。というのも、
上本竜平氏がそのプロセスの中で優先順位をつけて行動しないし、
優先順位をつけて行動するように促す人間が周りにいなかったように思える。
で、それは彼がまだ本当の意味で社会に出たことがないからなんじゃないかと、
僕は推測するのだ。

当たり前のことだけど、仕事というものは、
最高の条件で、できるということはありえない。
潤沢な予算、余裕のある期限、優秀なスタッフ、ありえない。
だからこそ、プライオリティーをつけて、
制限のある中で、最善のクオリティーを目指すのだけど、
とりわけ、段取りを効率的に行えないために、
本来、稽古やリハーサルに使える時間を、無駄にしていて、
その結果、大いにクオリティーを下げた気がしてならない。

そして、何より、共通言語がまだない、というか、
AAPAがやりたいこと、上本竜平氏がやりたいこと、を、
伝える技術が、非常に稚拙というか、
具体的な現場での指示へと落とせていないのだ。
だから、うまく指示が出せず、
現場のほぼ全てを上本氏がやろうとして、
とても時間がかかってしまうのだ。
ただでさえ、準備期間が短いのに。

問題なのは、僕のアームレングスは、
彼からみんなへの共通言語を引き出し、
具体的な現場での指示へと落として、また、
優先順位の付け方をアドバイスすることなのではなかったかと、
また、原作と脚色の関係に対して、
もっと踏み込んで議論すべきだったのではなかったかと、
終わってから思った。

だって、少なくとも僕は1年は、
映像制作の現場で、その段取りを仕事にしてお金をもらってきたし、
段取りのプロとして、トレーニングも受けてきたわけだ。
自分より10も20も上のスタッフに指示も出してきたわけだ。
もちろん、それは役割の上でだったんだけだけれども。
また、自分の原作が使われるということに対しても、
もっと攻撃的になってもよかった。
それは今回の使われ方が不満だということではなく、
お互いの違いを認識して、またコラボレーションするために。
また上本氏がやりたいことをもっと深く理解するために。

アームレングスの本義は「手の届く範囲」、
つまり、可能かつ頑張れる範囲で、
徹底的に頑張るということなのに、
今回の僕は、その「手」を縮こまらせていた気がする。
(縮こまらせるという日本語はあるのかな?)
posted by 鈴木厚人 at 01:47| Comment(0) | TrackBack(0) | つぶやき手帖 | このブログの読者になる | 更新情報をチェックする
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