2005年03月02日

ペンギンプルペイルパイルズの「機械」

昔、かつてはピアニストであった、あるホームレスの男が言っていた。
「音楽とは何か?それは音ではない。音と音のあいだにある何かだ。」
この言葉を借りるなら、
芝居とは、それは台詞ではない。台詞と台詞のあいだにある何かだ、
ということになる。その意味で言えば、
その何かは、台詞の数から1の数字を引いた分だけあるわけで、
100の台詞は、99の何かを生み出すのである。

何かを連発するのも面倒なので、ナニカと名付けることにする。

ナニカを観客に届けなくてはいけない。
弓を射るがのごとく、観客に突き刺さなくてはならない。
そのためには速度と緊張が必要である。つまり、テンポだ。

ペンギンプルペイルパイルズの「機械」では、
ほとんど役者が座らない。
(村岡さんという女優だけはよく座り、よく氷の微笑のように足を組みかえていた)
役者が座らないことは、テンポを作る上でとても大事だと思う。
だけれども、人間というのは、多くの場合において、
あまり立ちながら話さないし、まして走りながらや、動きながら話さない。
人間は多くの場合、座って話す。これは事実である。
でも、お芝居の中で座って話すことはとても難しく、かつ危険だと思う。
(今の私には、とりわけそう思える)だから、
立って話す、動いて話すということを設計し、
座って話さない、ということを設計する必要がある。
(もしくは座って話しながらもテンポを落とさないよう設計する)

「機械」は、座って話さないという設計が、見事だった。

テンポ。
それは、その速さ、あるいは、遅さで、
舞台上に提示されることを許されたという意味で、
演出が絶対の責任を負うべきものであると、私は思う。

しばしば、お芝居において、演出の役割が、
半透明もしくは不透明な色をしているように思えるのは
観客が稽古場を見られないから、という気がしないでもない。

演出とスタッフ、キャストは一心同体。
一つの観客を魅了するアイディアがあったとして、
それは、もしかしたら、舞台美術さんのアイディアかもしれないし、
衣装さん、照明さんのアイディアかもしれない。
ゆえに、演出の仕事を、限定的に評価するのは難しい。
が、一つだけ明確に、いや限定的に、
舞台だけを見て、評価できる演出の仕事がある。
それは、テンポだ。

「機械」は、芝居というブラックボックスに、
倉持裕というナニカを入れた時に生み出される、
一つのテンポだと、私は思った。
posted by 鈴木厚人 at 10:51| Comment(0) | TrackBack(0) | 舞台レビュー | このブログの読者になる | 更新情報をチェックする
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