2006年02月05日

ラッパ屋/あしたのニュースに東京的コミュニティの未来をみる

去る1月26日に、新宿シアタートップスに、
ラッパ屋という劇団の「あしたのニュース」という芝居を見に行きました。
ある地方都市の豆腐屋が舞台の、シチュエーションコメディでした。
ストーリーは、よそのレビューを参照のこと。
http://www.shinobu-review.jp/mt/archives/2006/0117005025.html
そのレビューではなく、
芝居を見て、コミュニティというものについて、感じたことを書きます。
ただし、ネタバレありです。

演劇というのは、映像と違って、
物語の進行によってセットを変えるのが難しいです。
だから、基本的には、一つのロケーション・一つの場所で、
話が進むことがが多いのですが、
その時に、どういった場所の設定をするのが、効果的でしょうか?

一番簡単なのは、家の中で、
そうすると、登場人物は、どこかの家族ということになります。
両親がいて、兄弟・姉妹がいるという設定。
すると、お話は、家族というコミュニティの話になります。
家族の話は、書きやすいです。(面白いかどうかは置いといて)
なぜかというと、大体、どの人でも、家族を持った経験があるからです。
ところが、家族というのは、往々にして閉鎖的で、
家族同士の会話なんて、あまり面白くなかったりします。
お互い、理解し合っているつもりでいるから、
≪情報≫の移動がないんですね。

母「お父さん、最近、お仕事はどう?」
父「ボチボチかな」
母「それは、よかったわ」

みたいなね。
だから、お話を広げるには、部外者の存在が必要になります。
例えば、娘が恋人を連れてきたりすると、
家族の日常が、お父さん的には、非日常になるわけで、
そうすると、ちょっとだけ、面白くなります。

事程左様に、お話には、部外者が必要です。
特に、一つの場所、一つのロケーションだけで展開するお話には、
部外者が入って来やすい場所の設定が、すごく重要だと僕は思ってます。

で、「あしたのニュース」に選ばれたロケーションは、
ある地方都市の、昔ながらの商店街にある豆腐屋でした。
隣には、地方紙の新聞社があって、
豆腐屋は、その新聞社の記者達のたまり場になっています。
そして、この場所の設定をを目にした時に、
「ああ、また地方都市かあ」と悲しく感じました。
というのも、先日見たグリングの「海賊」も、
恐らく、地方都市(もしくは東京の田舎)にある、床屋が舞台だったからです。

ご近所さんが、死語になりつつある現代日本では、
部外者が、愛されたまま、自由に出入りできる場所の設定が難しくなってる。
(愛されない部外者というのは、ストーカーみたいな人ね)
いわゆる、商店街的コミュニティ、
男はつらいよの、寅屋的コミュニティがフィクション臭くなっていて、
東京では成立しない、かろうじて、地方ならナントカ、
いや、最近は、地方でも怪しいのではないか?
僕は、そう思ってしまいました。
もちろん、東京での、あるいは東京以外での商店街コミュニティを、
フィクションと知りつつ、楽しむことは自由なのだけど。

部外者同士(知らない者同士)が形成する、
東京的コミュニティの、新たなリアルに誠実に目を向けると、
ポツドール「愛の渦」の、乱交パーティーコミュニティに、
いっちゃうのだとしたら、それは、とても悲しい。
リアルであるとしても、とても悲しい。
でも、どうしようもないんだよなあ。そう思いました。
posted by 鈴木厚人 at 20:33| Comment(0) | TrackBack(0) | 舞台レビュー | このブログの読者になる | 更新情報をチェックする
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