2006年01月20日

宮崎勤の死刑確定について

もう、3日も前だけど、
宮崎勤の死刑判決が確定したようだ。
新聞もテレビも見ないから、全然知らなかった。
やっぱり、新聞ぐらいは取るべきかな?

ある人から、
宮崎勤の死刑が決まったけど、
死刑制度の是非についてどう思う?
みたいなことを聞かれたけど、
そんなの単純に、
イエスかノーで答えられる問題じゃないだろうと思った。

従来の死刑ってのは、罪に対しての罰だ。
ところが、宮崎勤にとって、死刑が罰になっていない。
宮崎勤にとって、とかく死刑が恐ろしいものになっていない。
死刑制度の是非そのものよりも、そっちのほうが問題だと思う。
つまり、死刑や罰による、犯罪の抑止効果が減退しているということが、
問題だと思う。

人を殺したいと思うことは、悪いことじゃない。
長く生きてりゃ、誰かを殺してやりたいくなることの、
1回や2回はある。
だけど、僕らがそれを実行しないのは、
倫理観や道徳観のためだけでなく、
殺人に対するコストを見積もるからだ。
家族、友人、そして、社会からの離別。
つまり、社会的コミュニケーションからの隔離。
懲役、死刑、というのは、そういう罰だ。

だけど、ある時期から、
家族、友人を含めた社会とコンタクトを取らない、
取らないだけではなく、コンタクトの必要を感じない、
そういう人達がポツリポツリと出始めてきた。
この人達には、社会に戻りたいという意識はないから、
自分の欲望のまま、人を殺すことがある。
そして、今の日本は、そういう土壌を作ってしまった国。
宮崎勤は、そういうことの延長線にいたわけなのだ。

だから、死刑制度の是非を論じるよりも、
どうしたら、そういう人達を、
社会的コミュニケーションへと動機つけることができるか、
そっちのほうが大切だと思う。
posted by 鈴木厚人 at 02:24| Comment(4) | TrackBack(0) | つぶやき手帖 | このブログの読者になる | 更新情報をチェックする
この記事へのコメント
よく中世ものの映画で、広場で絞首刑とか
広場で磔とか広場で火あぶりとかってシーンが
でてきて、実際にそういうことって本当に
起こっていたわけだけど現代に生きるわれわれは
映画だから正視できるわけですよ。
死刑にするということは、死刑を執行するひとが
いるわけで、その人の意識には正しいことを
していると思わなきゃいけないという気持ちと
仕事であるという気持ちが入り混じっている。

仕事で「人を殺す」、どんな心理状態なんだろうか。
そんな心理状態をその人は負う理由があるんだろうか。
被害者も検事も裁判官も法務大臣も、
理由が手続きが正当であるというだけで、
人が死ぬことを望み実行するわけです。

また、実際に死刑を執行するときは、何人かで一斉に
ボタンを押すだかでランダムでスイッチが入り、ひとりに負担をかけないようになっていると
聞いたことがある。

死刑が究極の刑罰っていうのは、刑そのもの
というより、そこにいたる過程なのかな。
だとすると、執行を密やかにすることって、
どうなんだろう。

とか、広げてみる。
Posted by beat at 2006年01月20日 13:12
一緒に見に行った、本谷有希子の
「乱暴と待機」の主人公の一人って、
死刑執行人だったよね。覚えてる?
まあ、思い出したので。

「死刑制度」の是非を論じる上での前提として、

日本国憲法の13条には、
個人の生命、自由及び幸福追求が、
公共の福祉に反しない限り、立法や国政の上で、最大の尊重を必要とする、
というのがあり、つまり、
死刑制度というのは、
個人の生命と自由、幸福を尊重するために、
国民が必要としている、
国家によって執行される罰だよね?

ということは、
死刑は「必要な殺人」ということになる。
個人や共同体を守るための、
秩序の維持が必要であるから。
だから、被害者はともかく、
検事も裁判官も法務大臣も、
そして、スイッチを押す人も、
人が死ぬことを望み実行するわけではなく、
個人や共同体を守るために、実行する。
少なくとも建前は、そうだよ。
Posted by 鈴木厚人 at 2006年01月20日 16:46
あ、やっぱりあれそうだったんだよね。
思わせぶりだったけどはっきりそういって
なかったしあんなしょっちゅうないだろ、と思って。

いや、建前はもちろんそうなんだけど、
ゴールというか結論はそうじゃない。
死刑判決がでるまでは目的じゃないけど、
死刑求刑する検事がいて、判決を下す判事がいて、
その書類にサインをする法務大臣がいて、
ステップが踏み固められていく。
ひとりひとりが決定打じゃないけど、
そのひとつひとつは死ぬ結果に向かって進んでいく
ってのに、なんか感じ入るよ。
Posted by beat at 2006年01月21日 23:33
ベルトコンベアで精製される死の工場って感じ?
所詮、社会の歯車である我々は、
死刑執行の際も歯車を演じてしまうんだろうね。
Posted by 厚人 at 2006年01月25日 02:06
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